富ヶ谷案内

都心にありながらも、
緑あふれる代々木公園・この土地を見守り続ける代々木八幡宮(1212年創建)
に囲まれる心豊かな町『富ヶ谷』。

その上、東京メトロ千代田線「代々木公園」駅、小田急線「代々木八幡」駅を利用する位置にあり、
渋谷や表参道まで歩いてもいける利便性もあります。
昔から住む人と、新しく入ってきた人が「おとなりさん」として一緒に町をつくっています。
古くからのものを大事に受け継ぎ守りながら、新しいことを受け入れていく、魅力的な町です。

 

町名の由来

渋谷はもともと、起伏の多い土地で谷もあれば森もありました。
富ヶ谷が、古くは「留貝」という地名でよばれていたといわれているのは
富ヶ谷の低地、1丁目から代々木公園駅にかけて、地下10メートルほどのところが
一面に貝の化石層だったことによります。
この「留貝」がのちに縁起をかついで富谷となったと言われています。

江戸時代には代々木村富谷となり、明治になって大字代々木富ヶ谷となって
昭和7年に旧代々幡町の大字であった代々木のうち、字富ヶ谷が代々木富ヶ谷町と
呼ばれるようになりました。
昭和36年から38年の住居表示により現在の町域となり、現在の地名「富ヶ谷」になりました。

 

富ヶ谷とハチ公


ハチと実際に遊んだことがあるという1919年(大正8年)生まれのお母様のお話しを、富ヶ谷在住の戸川さんにお伺いしました。

東京帝国大学農学部教授の上野英三郎博士が、ハチの飼い主であったことをご存知の方も多いと思います。ハチは1923年に現在の秋田県大館市で生まれ、1924年に上野博士のもとに来ました。上野博士の住まいは、東急デパート本店の裏側;現在の渋谷区松濤1-5付近でした。ハチは東京に出てきた当初は、松濤の住人だったわけです。

1925年に上野博士は勤務中に大学で倒れ、脳溢血で急逝してしまいます。ハチが上野博士と暮らした期間は、たった1年半です。この間ハチは上野博士を渋谷駅まで送り迎えすることもあった様です。上野博士の死後、ハチは博士の妻八重さんの親戚筋に預けられましたがいろいろ問題があり、最終的に上野邸に出入りしていた植木職人小林さん;現在の渋谷区富ヶ谷1-43に預けられました。富ヶ谷にやって来たのは1927年です。それから1935年3月に渋谷駅の明治通り側、渋谷警察の向かい側で1階が本屋さんになっているビル横の渋谷川にかかる橋の付近で遺骸が見つかるまで、8年間は富ヶ谷の住人でした。

母の家は小林さんの三軒隣で、ハチとはよく遊んだと言っていました。ハチは大変おとなしい性格の犬で、子供たちが体に触れても嫌な態度を取らず、なされるままになっていたそうです。白い毛色の大型な秋田犬でよく目立ち、街の人達も「ハチ」、「ハチ」と声をかけ可愛がっていました。また悪戯で顔にメガネや髭を書かれたまま、歩き回っていたことも度々ありました。

富ヶ谷のハチが「忠犬ハチ公」と全国ブランドになったのは、1932年と1933年に「帰らぬ主人を駅前で待つ忠犬」と新聞の記事で紹介されたことがきっかけでした。上野博士と一緒に暮らした期間はたった1年半なのに、「なぜ博士の死後も渋谷駅に出掛けて行ったのか?」と言うことには様々な説がありますが、現在は一方通行になっている富ヶ谷から東急デパート本店に向かう道を、ハチが毎日渋谷駅まで往復していたことは間違いのないことでしょう。

文責:戸川純司

 

鞍掛の松

鞍掛の松 伝承地、富ヶ谷1-31-1付近。
現在では道路となっていますが、この付近には、かつて「鞍掛の松」と呼ばれていた名木がありました。のちに松に目印となっていたようです。

この松については、江戸時代でも早い時期に編纂された「江戸鹿子」には、「所の人ハ古ヘ右大将源頼朝奥州征伐の時、此野に来、土肥月毛と云馬を此木につなき、同く鞍を此木に懸給ふ云、此木枝たれて木形面白く又比類なき松なり、」と記され、頼朝が奥州征伐の折、鞍をかけた松として紹介しています。

また、「江戸鹿子」よりのちに書かれた「江戸砂子」では、頼朝でなく義家が奥州征伐(後三年の役)に行ったときの話としています。いずれにしても区内にある伝承地(旗洗池・勢揃坂)と同じく、関東地方特有の源氏伝承のひとつといえましょう。

松は、幕末・明治の激動期に枯死し、新しい松が昭和17年(1942)・昭和18年(1943)頃まで存在していたようですが、道路(山手通り)の拡幅工事のため取り払われてしまいました。

渋谷教育委員会より

 

春の小川

春の小川はさらさらいくよ~♪

誰もが一度は口ずさんだことのある「春の小川」。歌のモデルになった川は、かつて富ヶ谷付近を流れていた、河骨川と言われています(渋谷川の支流である宇田川のさらに支流にあたります)。

作詞(原詩)をしたとされる、高野辰之氏は1912年(大正元年)歌ができた頃、代々木3丁目に住んでおり、自宅の周りを散歩しながら眺めていた風景がこの歌で綴られているのではないか、といわれています。

毎年5月の第2土曜日10時から春の小川コミュニティパークで「春の小川合唱祭」が開かれ、山谷小学校の児童による合唱を聞きます。さわやかな歌声で気持ちもすっきりします。鉢植えの花のプレゼントもあります。

 

代々木の杜盆踊り大会

8月の最終土・日曜日の夕方から春の小川コミュニティパークで代々木の杜盆踊り大会が開かれ、連日千人近くの人でにぎわいます。(富ヶ谷町会は協賛)